新幹線の初代「0系」の引退に際して、これまで新幹線の車両の歴史を振り返るような動きが盛んになってきました。書店では、新幹線初代「0系」の写真集、図鑑などがあふれています。新幹線開業前夜の東京を描いた懐かしの昭和の下町を描いた映画が大ヒットするなど、新幹線開業当時の日本を懐かしく振り返る人が増えてきたのも事実でしょう。新幹線を開発した技術者たちの労苦を回顧するドキュメンタリーも、DVDになって販売されています。初代新幹線車両「0系」の引退に向けて、「0系」の指定席予約が好調で、さらに、臨時の「さよなら運転」の指定席も完売しました。
新幹線 車両について、回顧する新聞、テレビなどの報道も2008年の秋から年末にかけて頻度を増していきました。「0系」新幹線の車両を見ると、人生の転機となった就職や進学、新婚旅行、ビジネスなどの思い出が蘇ります。空の旅が身近なものでなかった頃には、西日本から上京するのに新幹線を活用していました。九州、とりわけ福岡出身の歌手やタレントが多く輩出された背景には、新幹線の博多開通という歴史的な出来事があったといわれています。
新幹線からは新しい旅の文化が発信されていました。食堂車は、既存の特急にも存在していましたが、新幹線の食堂車を担当したホテルなどは、名誉をかけて、味を競い合い、もっともゴージャスな食堂車として注目されました。「0系」が新幹線の旅の原型をつくりあげてきただけに、「0系」新幹線の引退を惜しむ声が一層強くなってきているようです。「0系」新幹線の登場と存続・発展は、日本の高度経済成長と技術力の成果でもありました。金融危機を受けた不況の不安が広がるなかで、日本経済が活況を呈していた、「0系」新幹線開業の1964年当時を回顧する取り組みがすすんでいると考えられます。
新幹線0系の後、1985年に2階建て新幹線「100系」がデビューし、1992年には最高時速270キロの「300系」がデビューするといった時代の流れがありました。バフル崩壊後も、新幹線は、ビジネスや観光の旅行者の足となり、修学旅行生にとっても楽しい旅の思い出の場となりました。「0系」新幹線車両は1999年には東海道新幹線から姿を消し、山陽新幹線の歴史的遺産となっていました。
新幹線といえば、「0系」新幹線の車両を思い出す人が多く、新型の新幹線車両は便利さを感じながらも、まだ馴染んでいない人もいるようです。これからは、最新型のN700系が新幹線の旅の思い出をつくっていくことになりますが、「0系」新幹線の記憶はいつまでも多くの人のなかで生き続けることでしょう。